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COLUMN 馬場園芸コラム

奇跡のホワイトアスパラが生まれた背景

「地域を元気にしたいという強い想いが生み出した奇跡のホワイトアスパラ」

1、田舎を愛する青年の想い

2017年、岩手県二戸市浄法寺町で白い果実は誕生しました。
浄法寺町の人口は約3900人(2021年現在)。漆の生産量が日本一で、瀬戸内寂聴さんが住職を勤めたお寺「天台寺」がある、自然豊かで文化と歴史ある町です。

一人の青年の「何としても成し遂げたい」という強い思いが、奇跡のホワイトアスパラを生み出すことになります。

白い果実の生みの親「馬場 淳(まこと)」

彼は、先祖代々200年以上続く農家の9代目。
彼は昔から少し変わっていました。
自分の町がとにかく大好きで、中学生の時に、「自分の目を通してこの地域を見るとディズニーランドに見える」と言って、同級生にドン引きされました。
なぜなら、この町は、そんな魅力は感じられない、いわゆる“何もない田舎”。ローソンは10時で閉まり、信号機は2機しかありません。全国チェーン店はホームセンターのコメリだけ。
あとは全部、地元に、昔からある商店が営業を続けています。
同じ世代の人は、デパートやカフェ、ゲームセンターを求めていました。若者にとっての娯楽の場です。しかし、彼は違いました。
今あるこの環境が最高。他に何もいらない。この環境を遊び尽くすんだ思っていました。
彼には、この町がさまざまなアトラクションのように見えており、無限の可能性を感じていたようです。

馬場園芸は1811年(文化8年)より岩手県浄法寺町に続く、農家が始まりです。
地域の人からは「三右エ門(さんにもん)」という屋号で呼ばれています。

2010年二十歳の馬場は、岩手県立農業大学校で2年間学び、卒業後すぐに、実家に戻り、家業を継ぎました。

当時の馬場園芸は施設園芸を中心とした農業を展開していました。
春は米の苗を生産し、地域の農家に販売する水稲苗の受託生産事業を行っていました。(現在も続いています)
夏から秋にかけては、スプレーマム(洋菊)という色や形のさまざまな菊の花を生花市場に向け出荷していました。(現在も続いています)
当時は、冬の仕事がなく、ハウスの周りを除雪しながら、冬はお休み期間でした。

この地域は、冬が厳しく、冬に作物を生産することができません。そのため、地域の農家は冬の間、仕事がなく、出稼ぎに行ったり、除雪のアルバイトをして生計をたてていました。

主産業である農業が通年雇用できない状況なので、地域の若者は、仕事を求め、地域の外に出て行ってしまっている現状でした。
そのため、町民の半分は、進学・就職を機にこの町を離れていきます。
お盆や正月などの長期休暇の時には、帰省しますが、ずっとこの町で暮らしていくためには、仕事がなく、両親は、実家に残り、外の地域で暮らしている人がほとんどです。

馬場は、地元から活気が失われていくのを肌で感じていました。
地元の高校は閉校となり、6校あった小学校は1つに統合されました。
幼い頃から通っていた町の本屋は閉店し、大好きだった焼肉屋も閉店。毎年恒例行事の秋祭りに来る人は、年々減っていきました。

このままで、自分の息子や孫の世代はこの町で安心して暮らすことができるのだろうか?
馬場は、強い危機感を感じていました。

「何としてもこの地域を元気にしなければならない」と馬場は強く想いました。

1番の課題は、地域に仕事がない事です。ただ仕事がないのではなく、やりがいや生きがいを感じることのできる「魅力的な職場」がこの町にないことが、最大の課題でした。

2、冬場の仕事作りとホワイトアスパラとの出会い

馬場は、自分たちにできることを考え続けました。
四六時中頭の中は、どうしたらこの地域を元気にできるか?
今ある資源を最大限生かして何とかできないか?
そして、ひとつの答えが出ました。
「冬場の仕事をつくり、自分たちが魅力的な職場になる。自分たちの地域は、自分でつくる」

決心した馬場は、冬に生産できる作物を探しました。
初めに目をつけたのは、ほうれん草。真冬でも、暖房がいらず、凍っても枯れないほうれん草は、冬場の空いているビニールハウスで生産することができます。
当時、産直は冬になると青果はほとんどなく、ごぼうや長芋、ジャガイモなど貯蔵のきく、野菜だけでした。
そこに目をつけて、生産を開始し、成功しました。
冬に青々としたほうれん草が産直に並び喜ばれました。

しかし、1束160円のほうれん草では、雇用し続けるための給料を払い続けるだけの利益を得るには十分ではありませんでした。

そこに出会ったのが、隣の一戸町で生産されている冬にとれるアスパラでした。
12月〜2月は国内にアスパラがなく、ペルー産やメキシコ産のアスパラがスーパーには並んでいました。この時期に国産アスパラを出荷できるのは、他の産地にはない強みです。

なぜ、国内にアスパラがない冬に収穫できるのか?
その秘密は、「伏せ込み栽培」と呼ばれる超特殊な栽培方法によるものでした。

伏せ込み栽培

これは、世界的にも日本でしか行われていません。なぜなら、ありえないほど手間暇がかかるからです。
通常のアスパラは、一度植えたら、約10年間は収穫し続けることができます。
毎年、畑を新たにつくる必要はありません。
しかし、「伏せ込み栽培」は1年しか収穫することができません。しかも60~80日間だけ。
だから、毎年畑を作り、種まきから始めないといけないのです。
合理的な欧米人はそこまでして、冬にアスパラを生産しようとは思わないようです。

「伏せ込み栽培」は、アスパラの生体的な特徴と本州一冬が来るのが早い北岩手の気候があってこその栽培技法です。
アスパラは寒くなってくると、茎や葉っぱに蓄えていた養分を根っこに転流させます。
そして、暖かくなる次の年の春にむけ、眠りにつきます。
目が覚める条件は、8度以下の低温に300時間、5度以下に90時間遭遇すること。
桜の開花予測のように積算温度で目が覚めるのです。
本州一冬が来るのが早いこの地域は、いち早くアスパラが目を覚まします。
そして、目覚めたアスパラの根っこだけを畑から掘り取り、ビニールハウスに移し変え、温度をかけます。そうすると、春が来たと勘違いして、アスパラが発生してくるのです。
この掘り取って、ビニールハウスに植え替えることを「伏せ込み」と言います。

そこまでしてアスパラをつくる必要があるのかと思うかもしれません。
しかし、この栽培技法でしか出せない味があるのです。それは、この後の章でお話しします。

これだと思い、馬場は、先進的に伏せ込みのアスパラ栽培を行ってる農家に何度も足を運び、栽培技術を学び、栽培しました。
馬場園芸にとっては新規事業ではありましたが、幸いにもビニールハウスはすでにあったため、大きな設備投資は、お湯を作り、地面を温めるための籾殻ボイラーと、畝を作るためにトラクターにつける葉タバコ用の高畝マルチャーという作業機と、アスパラの根っこを掘り上げるための掘取機だけでした。

籾殻ボイラーとは、米の殻を剥いた時に出る殻で、それを燃焼させることで、お湯をつくることができるボイラーです。
灯油ボイラーという選択肢もありましたが、使いませんでした。
灯油は海外にエネルギーを依存しており、お金は地域ではなく、海外に出て行ってしまいます。また、燃料高騰などの影響を受ける可能性もあります。
籾殻ボイラーの燃料は地域の米農家から出ます。そのため、海外の情勢に左右されることなく、生産を続けることができます。
また、籾殻を燃やして熱エネルギーだけをハウスにとり込み、燃えた後の殻は、炭になって排出されるため、畑に返されます。
お金も資源もすべて地域の中で循環されているので、持続的に事業が続けることができます。
地域を元気にするという想いからの選択でした。

そして、栽培1年目。
すべて初めて状況で、栽培が始まりました。
畑も足りなかったため、知人から借りてスタート。
アスパラの畑作りはやったことがなかったため、悪戦苦闘していると、見かねた近くの葉タバコ農家の人が助けてくれたりしたそうです。
そして、片道6kmある畑に毎日足を運び、生育を見守りました。
先進農家の畑にも毎月足を運び、自分のアスパラと比較し、生育を比べました。
しかし、自分のアスパラはなかなか大きくなりません。
指導された通りに行っているのに、なぜうまく行かないのか、その時はわかりませんでした。
先進農家の畑に行くと、当たり前のように大きくなっているアスパラですが、それがあたり前ではないと知り、農業の難しさを知りました。
植えたら勝手に育つわけではなく、土づくりから始まり、日常の管理が大切だということです。
田んぼや他の野菜もそうです。
毎年当たり前のように、育ち、そこにあるように見えますが、その裏には、毎年の営みがあります。それをなくして今私たちが毎日食べているご飯はありえなのです。

厳しい現実を知りました。
1年目の冬、収穫できたアスパラは目標の収量の3分の1。大赤字でした。

2年目、「絶対に成功させ地域で一番のアスパラをつくる」と決意し、スタートしました。
借りていた畑は返し、自宅の田んぼを畑にし、アスパラを生産することにしました。
毎日のように畑に足を運び、アスパラを見守りました。
365日とにかくアスパラのことだけを考えて、集中しました。
その年の結果、なんと初めて2年目の若造が地域で1番の成績をあげることができてしまったのです。

この結果に家族も喜びました。

これで、自信をつけた馬場は3年目、面積を2倍にします。
また、同じようにとれると思い、肥料や資材も購入し、畑に入れました。
しかし、結果は、散々でした。
面積は2倍、かけたお金と時間も2倍。しかし、とれた収量は前の年と同じ。つまり、原価だけ増えて、売上は一緒なので、大赤字です。
同じように取り組んだのに、なぜか同じようにできない。
不思議でした。
このアスパラ栽培の難しさを実感しました。

これを解決していくためには、もっと自分が成長しなければならないと思いました。
まだ理解していない科学的な理由を突き止めなければ、同じことの繰り返しになってしまう。何かに追われるような気持ちと責任感で必死に学び・実践し続けました。
しかし、その次の年も、その次の年も、2年目の時のような収量をあげることができませんでした。

栽培に苦戦しながらも、馬場は次を見据えた試験を始めていました。
それがホワイトアスパラの試験栽培です。

ホワイトアスパラはグリーンアスパラを光を当てずに育てたものです。
よく間違える人がいますが、品種は同じです。
ただ、光を当てるか、当てないかの違いです。

馬場園芸は夏は菊の花を栽培している関係で、ハウスの中を暗くしたり、明るくしたり、光をコントロールできる設備が備え付けてありました。
菊は日が短くなると花芽をつける性質があります。
日が長い夏でも花を咲かせるために、光を通さないカーテンを開け閉めして、光をコントロールするのです。
この真っ暗にできる環境を生かしたら、ホワイトアスパラが生産できるのではないかと馬場は考えました。

試しに、2坪だけ、真っ暗にしてアスパラを育てたところ、結果は大成功。
真っ直ぐに、綺麗に出揃ったホワイトアスパラが、収穫できました。

3、他との違いとコンセプト

白く美しいアスパラを我慢できず生でかぶりつくと「甘い!」
グリーンアスパラでは感じなかった甘さがありました。

これはいけると思った馬場は、初めてカタログを自分で制作し、直接知人に販売を始めました。

初めてカタログを自分で制作

その当時メイン商材は、グリーンアスパラ、その片隅に、ホワイトアスパラをのせ、販売していました。
ある時、知り合いの経営者の方にそのパンフレットを渡したところ、このホワイトアスパラは、イタリアンやフレンチレストランで需要があることを教えてくれました。

早速、知り合いの地元のレストランのシェフに持っていったところ、「甘い、こんなに甘いホワイトアスパラは初めてだ」「この時期にホワイトアスパラは見たことがない」ととても喜ばれました。

一般のスーパーではあまり見ない食材ですが、イタリアン・フレンチのレストランならニーズがあることがわかり、そこに特化し販売を始めることにしました。

しかし、馬場は今まで、農協や市場出荷しかしたことがない生産者。
一般企業に勤めたこともなく、販売や営業のノウハウはゼロ。
どうやって、飲食店に届けていったらいいかわかりませんでした。

そんな時に、ある農業法人の営業部長さんとの出会いがありました。
その方の会社は、九条ネギをブランド化して、ラーメン屋にターゲットを絞り、販売を行って大成功していました。
私はその方の講演を聞いてすぐに、駆け寄り、ホワイトアスパラについて相談しました。
その時にもらったアドバイスは、「ホワイトアスパラにブランド名をつけて、パンフレットとホームページを作りなさい。そして、全国のバイヤーが集まる商談会に出なさい」ということでした。
その当時ホワイトアスパラの生産量はごくわずか。それでも何万人というバイヤーが集まる全国規模の商談会に参加してもいいのだろうかという不安がありました。
しかし、冬場の仕事を作るために迷っている暇はありません。
その言葉を一切疑うことなく、すぐに実行しました。

そこから馬場はホワイトアスパラを生産することだけじゃなく、どうやってこの価値を世の中の人に伝えていくかを四六時中考えました。
「ブランド名をつける」と一言で言われても、それはものすごく大変なことでどうしていいかわからず、悩んでいました。
そんなとき、役場が主催するセミナーに参加し、地元岩手のお土産品として有名な「南部せんべい」を製造・販売する会社の役員の方の講演を聞きました。
その方は、南部せんべいのこれからの未来を見据え、違うマーケットに南部せんべいを届けていくために、伝統を壊し、チョコ南部という新たなブランドを作った方でした。
その講演の後、すぐにその方のところに駆け寄り、率直にホワイトアスパラのことについて相談しました。
そうしたところ、「一言でその商品の特徴を伝える名前を考えなさい」というアドバイスをもらいました。その名前を聞いた瞬間に、頭の中に、味がイメージされるような名前。
また、自分のアスパラが他と何が違うのか、その違いを強みとして明確に打ち出さなくてはいけない。それを知るためには、他のホワイトアスパラの特徴やマーケットを調べなくてはなりませんでした。

馬場は、日本国内だけではなく、世界中のホワイトアスパラを調べました。
今まで知らなかったホワイトアスパラの世界が一気に見えてきました。

ホワイトアスパラは、14世紀イタリアが発祥と言われています。
飢饉が発生し、食べものに困った農民が、地面を掘り上げたところ、真っ白なアスパラを発見し、食べたことが始まりと言われています。
ヨーロッパでは、グリーンアスパラよりもホワイトアスパラの消費量が多く、アスパラと言ったらホワイトアスパラです。
ドイツではシュパーゲルと言われ、国民から愛される食材です。
食べられる時期は4月頃から6月24日の「聖ヨハネの日」まで。日本で言えば桜のような存在で、皆が待ちわびて、春の訪れを告げる食材とされており、非常に親しまれています。
それを象徴するのが、「ホワイトアスパラ祭り」。
ヨーロッパ各地で開催され、日本からも多くの観光客が足を運んでいます。
街頭には生産者が収穫したばかりのホワイトアスパラが並び、販売されます。
地域を上げて、春の訪れを食とともに楽しみます。

日本では、北海道に明治時代に春の霜に耐えられる野菜として導入され、農家にとって、春の貴重な収入源となりました。
驚いたのは、グリーンアスパラではなく、ホワイトアスパラが日本のアスパラを始まりであったこと。ヨーロッパや北海道のホワイトアスパラは土を高く盛ることで日の光を遮りることで白くします。土の中にあるため、霜の影響を受けずらいため、春でも収穫することができます。
それを生ではなく、缶詰にして販売したことが日本のホワイトアスパラの始まりです。
今でも、ホワイトアスパラと言ったら缶詰というイメージが日本には根強く、柔らかい食感と独特な匂いと味がするものだという印象が強いです。
昔は喫茶店のサラダにはよくついていたそうです。

他にも、国内の産地では、佐賀県や香川県があり、そこでは、ハウスの中に地植えして、栽培し、春にホワイトアスパラとして、夏はグリーンアスパラとして出荷していました。

ホワイトアスパラは育て方によって味が異なります。
大きく分けて2つ。培土法と遮光法です。
世界的に圧倒的に多いのが培土法です。土を高く盛ることで、日の光を遮り、ホワイトアスパラにしていきます。
土の圧力に耐えながら成長するため、太くなるのが特徴です。
また、土の雑菌から体を守るため、表皮が硬くなります。なので、上から下まで皮をむいて食べるのが基本です。アスパラの先端にはセンサー(感知する機能)があり、土や雑菌などに触れるとサポニンという成分を体に作ります。
これは、独特の苦味成分でもあります。
培土法によって作られたホワイトアスパラは茹でて食べるのが美味しいです。
剥いた皮と一緒に食塩とレモン汁と一緒に茹で食べるのが一般的な食べ方です。

一方で遮光法は、光を通さないフィルムで日の光を遮り、白くします。
土の中で育つわけでないため、培土法に比べると太さは劣ります。
しかし、土に直接触れないため、表面の皮が柔らかく、半分より上はそのまま生でも食べられます。
また、土の雑菌のストレスを受けないため、サポニンが少なく、苦味が少ないのも特徴です。

馬場園芸が育てるホワイトアスパラは後者の遮光法によるもので、苦味が少なく、皮も柔らかいのが特徴です。

では、他の遮光法のホワイトアスパラに比べて何が違うのか?
それは冬に育つということです。
佐賀県や香川県で行われている遮光のアスパラは収穫できる時期は春です。
早いところで、2月中旬頃から出回ります。
ホワイトアスパラは他の野菜と唯一違うことがあります。
それは、光合成をしないため、呼吸しかしていないということです。
呼吸はエネルギーを消費する活動で、アスパラの中にあるエネルギー(糖)を消費していきます。
呼吸の量は寒さによって抑えられます。
冬に育つ馬場園芸で育つホワイトアスパラは日中は20~25度でも、夜の温度は0度〜5度のため、呼吸が抑えられ、体内に糖が残るために、非常に甘くなります。

もう一つ違いがあります。それは栽培方法です。
馬場園芸のホワイトアスパラは伏せ込み栽培です。根っこに蓄えた養分だけで出てくるため、非常に贅沢。また、伏せ込みのトンネルの中は湿度100%です。その中で育つアスパラは非常にみずみずしくなります。

ホワイトアスパラと比較分析

さまざまなホワイトアスパラと比較分析した結果、この環境から作り出されるホワイトアスパラには次の3つの他と違いがあることがわかりました。

とうもろこしのような甘さ
生で食べられる柔らかさ
口中に溢れるみずみずしさ

この3つの特徴を一言で表現する名前を馬場は考えました。

馬場は悩んで、いろんな経営者に相談をする中で、盛岡市で薪ストーブを販売するユーモア溢れる社長に馬場園芸のホワイトアスパラの特徴を伝えたところ、「それは果実だね」と言われ、閃いたそうです。

冬採りホワイトアスパラガス「白い果実」

「この名前にしよう」とその瞬間、頭の中のモヤがすっと晴れて、名前が決まりました。

ブランドを作るには、名前だけではいけません。
魂を込めることが何より重要でした。
魂とは、コンセプトです。
色々集めた白い果実の情報を整理し、妻や一緒に働いていた妹と一緒に白い果実のコンセプトを考えました。

・地域を何としても元気にしたいという強い想い
×
・世界で唯一中雪のある時期にとれる果実のようなホワイトアスパラ

このアスパラには「世界の美食家を唸らせる魅力がある」と確信しました。

馬場は、この想いと強みを掛け合せ、世界からこのホワイトアスパラを食べにこの地域に来てもらおうと考えました。

そして、アスパラが一番美味しいのは、「採りたて」。アスパラは常に呼吸しているため、時間がたつと体内の糖を消費していってしまいます。鮮度と味が直結しているアスパラだからこそ産地直送にこだわりたいと思いました。
同時に、自分たち生産者は非常に贅沢だということに気が付きました。
生産には苦労があります。植物は思うように育ってくれない時もあります。台風や炎天下の草取りもあります。でもそんな苦労して育てたアスパラを収穫して食べたとき、誰よりも感動があります。
普段生活していると当たり前のように感じてしまいますが、食材一つ一つには、生産者のストーリーがあります。
ただお腹を満たすために食べるだけじゃない、食べるときに生産者の顔が浮かんできて、どんな環境で育ち、なぜ美味しいのか、そんなことを噛み締めながら食べる食事は、お腹だけではなく、心も満たしてくれます。

もう一つ大切なことがあります。
生産者にできてシェフにできないこと。それは、素材の味を変えることです。
自分が自分の子供や孫に野菜を育て食べさせたいと思ったら、どんな野菜を作るでしょうか?健康に育った栄養価の高い野菜を食べさせたいと思うのではないでしょうか?
だからこそ、生産者には責任があります。野菜作りの基礎である土づくりから「味」にこだわること。根本から食べる人本意であることを大切にしたいと馬場は思ったそうです。

・地域を元気にしたい
・世界の美食家を唸らせたい
・生産者だから感じることのできる楽しみや喜びを届けたい
・ただお腹を満たすだけじゃない、心も体も豊かにするホワイトアスパラにしよう

これらの想いを一言にまとめ、
「畑から届ける最高の贅沢」
というコンセプトが出来上がりました。

4、いざ販売開始

その商品名とコンセプトをもとに、ホームページとパンフレットを作成。
初めての全国の商談会に臨みました。

馬場園芸が出ている商談会は、毎年8月に東京ビックサイトで開催される「アグリフードEXPO」という2日間で1〜2万人のバイヤーが入場する大きな商談会です。

開催される8月には白い果実はありません。なので、馬場は、作ったパンフレットだけ持って商談会に臨みました。
他のブースを見ると試食や様々な展示品が準備され、魅力的に見えます。
そんな中、馬場園芸のブースは、試食はなし、パンフレットのみです。
こんな感じでどうなるんだろうか?始まる前は不安でいっぱいでした。
しかし、始まってみると予想外のことが起きました。
一人で参加していた馬場はトイレに行く暇がないほど、お客様が途切れるまもなく、やってきます。馬場は、一人一人に丁寧に、白い果実が生まれた背景とストーリーを説明しました。
2日間で約60人のバイヤーと名刺交換することができました。

なぜ、試食もないブースにこんなにも人が訪れたか?
それは、ホワイトアスパラというカテゴリーが他にはなかったからです。そして、それを求めている人が一定層いて、足を止めてくれたということです。
予想していた通り、来てくださったのは、イタリアンやフレンチのシェフやお店に卸す商社の方でした。

岩手に帰り、早速名刺交換したバイヤーにアポイントを取り、取引が冬からの出荷に向け商談が始まりました。
栽培しかしたことがない営業経験ゼロの農家が企業としての一歩を踏み出した瞬間です。

そして、いよいよ白い果実が誕生して初めての冬が訪れます。
商談が決まった数社に向けて出荷が始まりました。

まだまだ売れ残るだけの余力があり、もっと新規開拓をしなければいけないと思った馬場は、飛び込み営業をはじめました。
県内のフレンチ・イタリアンレストランをリストアップし、一件一件恐る恐る訪問しました。
岩手県は上から下まで200km以上あります。
馬場園芸がある浄法寺町は隣はすぐに青森県。岩手県の一番上にあります。
そこから飲食店が多い盛岡までは車で片道1時間半ほどかかります。
飲食店が忙しくなさそうな平日の午後を狙い、訪問しました。

「浄法寺でホワイトアスパラを生産している生産者です。私が育てたホワイトアスパラ食べていただけませんか?」と言って、生のホワイトアスパラを手渡し、生でかぶりついてもらいました。
イタリアン・フレンチのシェフにとってホワイトアスパラは必ず教科書に出てくる食材。
欲しくても国産の物が手に入らず、使う機会は限られていました。
日本のイタリアン・フレンチのシェフがすごいところは、西洋の調理の技術を日本の食材や文化と融合させ、その土地にあった料理にしてしまいます。
日本のホワイトアスパラとヨーロッパのホワイトアスパラでは、味が違います。その特徴によって調理方法も異なります。
訪問したレストランのシェフのほとんどが、直感的にこのホワイトアスパラをどう料理するかイメージしてワクワクしていました。
訪問して数日たつと、注文のFAXが入り、馬場はとても喜びました。

こうした活動を地道に続け、白い果実は岩手から全国につながりを作り、少しずつ広まりを見せはじめます。

5、法人設立1年目の大失敗

馬場は、未来を見据えていました。
「もっと多くの人に、このホワイトアスパラを届けるためには、家族だけでは限界がある。
一緒に働く仲間が必要だ。」
2018年、馬場園芸は法人なりし、株式会社馬場園芸となり、社員1名、パート3名を雇用しました。
この時、自分で掲げたビジョンの全責任を取り、同じ志で仲間を引っ張っていくために、代表を父から継承し、代表になりました。馬場が28歳の時でした。

その年のホワイトアスパラ栽培はさらに気合が入ります。
春からみんなで、想いを1つに仕事に取り組みました。
順調にアスパラが育っていた時、8月に台風がきました。
突然太平洋で発生した台風で、そんなに大きくなく、スピードも早い台風でした。

しかし、浄法寺を通り過ぎた台風はものすごい風を吹き荒らし、アスパラをなぎ倒して行きました。
8月のアスパラは草丈180cmを超え、大きく育っています。
その中で、暴風が吹き荒れると、すべてもみくちゃにされ、倒れてしまいました。
結果、土の上に倒れたアスパラの葉っぱには病気が発生し、茶色く枯れていきます。
夏の間、葉っぱで光合成して作った養分は、冬の間で出てくるためのエネルギーになるので、葉っぱが無くなることは大損害に繋がります。また、風によって刺激されたことによって、冬に出てくるはずの芽まで動いてしまいました。
結果は、散々。法人設立1年目、過去最悪の収量でした。期待していたシェフにも、欠品の連絡をしなければならず、苦しい想いをしました。
太いサイズの注文が入ると、なんとか出荷できないかと1日に何回も畑に足を運び、探し回りました。
会社設立1年目の会社には、大きな打撃でした。

しかし、馬場は、これを自然のせいだとは思いませんでした。
自分の土づくりが甘かったんだ、もっと勉強して、もっと根っこを強くはり、強く健康なアスパラを育てようと思いました。
そんな時に、会社の本棚にあった1冊の本が目に入りました。
父が買っていた有機農業の本です。著者は小祝政明氏。長野でジャパンバイオファームという有機肥料を販売する会社を経営し、自信が提唱するBLOF理論(バイオロジカルファーミング)を生産者に指導し、高品質・他収穫の有機栽培方法を指導していました。

その本に出会い、今まで指導された通りにやっていたのに、なぜうまく行かなかったのか、全てわかるようになりました。
その本には、非常に科学的に、理論に基づいた解説がされており、全て分子レベルで説明がされていました。
馬場は、居ても立っても居られなくなり、小祝氏の会社に連絡し、すぐに会うためのアポイントを取りました。馬場はその時、全国どこにいたとしても、行く覚悟だったそうです。
しかし、運のいいことに、たまたま岩手で講演があるという回答があり、すぐその講演に申し込みました。

「百聞は一見にしかず」
小祝氏の講習を丸一日受けると、今まで見えていた畑がより立体的に見えるようになりました。

小祝氏の講習

植物が成長する仕組み、土と植物の因果関係など、すべて科学的に説明され、理解できたそうです。
今まで、多くの生産指導を受ける中で、それをそのまま鵜呑みにしてやって来てしまったと振り返ります。
「植物は窒素を与えると大きくなる。だから窒素をあげなさい」
「堆肥が重要。堆肥を入れなさい」
と指導されましたが、
「なぜ」と思うことがありませんでした。
しかし、今は違うと馬場は言います。

「植物は窒素を与えると大きくなる。だから窒素をあげなさい」
→結果から言うと窒素だけでは、植物は大きくなりません。土壌からと光合成によってつくらる炭水化物と窒素が結合して、細胞を作るためのタンパク質を作ります。なので、炭水化物がなくては植物は、大きくなりません。

「堆肥が重要。堆肥を入れなさい」
→堆肥も色々あります。動物性の有機物が多いもの、植物性の有機物が多いもの。牛糞・豚糞・鶏糞によってもその成分は違います。堆肥と一言で言っても使う目的によって、選ぶ必要があります。
堆肥は人間で言えばご飯のようなもの。炭水化物です。植物は太陽の光を光合成によってエネルギーに変え、炭水化物を体の中に作ります。堆肥を土に入れることは、畑に太陽を入れるのと同じくらいの効果があります。
だから、堆肥を入れている畑は、天気が悪い年でもよくとれるんです。ただ、どんな堆肥を使うかが重要ですけどね。

物事をより深く自分で考えることで、世界が広がり自分の力になっていくことを感じたそうです。

今までのアスパラ栽培が思うようにいかなかった謎が解けました。
その原因は、
・炭水化物という観点がなかったこと
・植物の成長にとって欠かせないミネラルを全く理解していなかったこと
です。

小祝氏の講習の中で、一番衝撃的だったのが、今のほうれん草は50年前のほうれん草に比べ、栄養価が5分の1以下になっているということでした。

なぜそのようなことが起きるのか?
戦後日本は高度経済成長を遂げる中で、爆発的に人口が増加しまた。その食を支えるために、安価で畑に撒きやすい化学肥料が普及しました。
今までの農村は全てが地域内で循環されています。

家畜糞尿や落ち葉→堆肥→畑→食材→人や家畜→糞尿

ざっくりこんな感じです。
有機物の中には、カルシウムやマグネシウム・カリウム・鉄・亜鉛・マンガンなどの微量なミネラルも含まれています。それと同時に炭水化物も供給されます。

しかし、化学肥料にはこのようなミネラルは含まれません。
窒素・リン酸・カリウムだけを科学的に合成します。炭水化物は一切ありません。

するとどうなるか、
初めは土に栄養分が多いので、たくさん取れます。驚くほど大きな野菜が取れたそうです。
大きな野菜、それに比例して、土から養分を奪います。そして、外の地域に出荷されていきます。年々土には栄養がなくなっていき、栄養は偏っていきます。
結果、植物は貧弱になり、収量も下がります。
見た目は同じほうれん草かもしれませんが、中身は全く違うのです。

この話を聞いて、馬場は生産者としての責任と現代の食に対する危機感を強く持ったそうです。
「生産者が日本の食を、そして、人の健康をダメにしてしまっているかもしれない。本当に食べる人のことを考えたら、栄養価が高くて、美味しいものを作らなければならない。
大事なのは土づくりだ」

6、土づくりを見直し、グランプリ受賞

次の年の春から、馬場園芸の土づくりが変わりました。
地域の酪農家から出る堆肥と隣の八幡平市にあるマッシュルーム農場から出る廃菌床の堆肥、牡蠣殻を焼いて作った石灰、海藻、魚を発酵させ作るアミノ酸豊富な有機肥料などを畑に投入し、土づくりを行いました。

馬場園芸の土づくりが変わりました。

「食べる人本意」からの選択でした。結果、コストは3倍になりました。
しかし、食は利益の道具ではありません。命につながるものです。
馬場は経営者として、損益よりも、食べる人の喜びを追求しました。

アスパラはそれに応えるように大きく成長しました。
そして、出荷の時期を迎えます。
その違いに気がついたのは、意外な人でした。

岩手県西和賀にある高級旅館「山人」。
そこに毎年訪れる常連客が、
「このアスパラ去年よりも味が濃くなったわね」
とシェフに伝えてくれたそうです。

その話をシェフから聞いた馬場は、喜びました。
「自分たちがやってきた土づくりは意味があることだったんだ」と実感しました。

そして、他のシェフからも
「去年より味が濃くなったね」
「皮から凄い出汁が出るんだよ、捨てるのはもったいない」
「味・香りが最高だ」
など、声を寄せられるようになりました。

そして、2019年に出場したにっぽんの宝物グランプリJAPAN大会で白い果実は
最強素材部門で日本一に選ばれました。

馬場の「何としても地域を元気にしたい」という強い想いが生み出したホワイトアスパラ「白い果実」。
お腹を満たすだけじゃない、心と身体を豊かにする食を届けていきたいという想いから「畑から届ける最高の贅沢」というコンセプトが生まれました。

さまざまな困難にぶつかる度に、いろんな気づきが生まれ、成長する。
なぜか導かれたように、その解決の糸口や人が現れるのは、目指すべき一点があるからなのかもしれません。

7、今後のビジョン

最後に、馬場に、今後のビジョンを聞きました。

(馬場)
2029年2月10〜12日に「いわてホワイトアスパラ祭り」を開催し、世界からこの浄法寺町に3日で10万人の人を集客します。ホワイトアスパラ「白い果実」を目的に多くの人が訪れ、北いわての最高の食材・文化・景観で世界の人をおもてなしします。

いわてホワイトアスパラ祭り

そして、もう一つ。
これは、私が一生かけて取り組んでいくことです。
白い果実はその使命に気がつかせてくれました。
それは、「食べる人を想い育まれた食材で満たされる未来をつくる」ということです。
「食は命なり」それは、土から始まり、作物を育て、加工や流通をへて、食べる人のところへ届き、消費され、その人の身体をつくります。
行き着く先は「命」です。
しかし、現在、生産者や食品加工メーカー、流通業者、そして、生活者(食べる人)もどれだけそのことを理解しているでしょうか?

農業の現場を見ていると、いかに作業を楽に済ませるか、安く大量につくるためはなど、目先の利益や快楽が目的になってしまっていることが多いような気がします。
もちろん生産効率を良くすることや、コストを抑えることは経営的に必要なことです。しかし、目的ではありません。

生活者はどうでしょう?毎日のスーパーでの買い物が、自分や家族の命を作っているという意識はあるでしょうか?安いから、便利だからというのは家計的には重要なことです。しかし、目的ではありません。幸せな人生を送ることが目的だと思います。健康はあたり前ではありません。日々の食の選択が自分や家族の体を作っていきます。

私たちの使命は、「食べる人本意」という「あり方」を世界の隅々まで広げていくことです。
食に関わる全ての企業に関係することだと思います。例えば、堆肥を作る工場も食に関わる重要な仕事です。
もちろん、既にそのあり方に気が付き、実践している企業も世の中にはたくさんあります。

供給側だけではなく、消費側にとっても必要なことです。
食べる人の選択の質を上げることも私たちの重要な役割だと思っています。
100年後、この地域(=世界)に暮らす人々が手を取り合って、幸せに暮らすことのできる社会をつくっていきたいです。
(以上)

その歴史はまだ始まったばかりです。